自然塾ストーリー
【もくじ】
会報VOL.24 (平成24年9月)掲載
この感動をつたえたい。
あるアメリカの軍パイロットが、東日本大震災の初期、物資を配給しに行った際に感動した話を聞きました。
瓦礫の山が続く中、ある建物の上で、人々が「助けてくれ」と手を上げていて、パイロットは少し怖くなったそうです。
以前に日本以外の国で同じような経験があり、我先にと人々が押し寄せ、危ない目に合ったのだそうです。
しかし、同じような状況にも関わらず、日本人は列を作り物資をバトンリレーで運び始めました。自分たちに必要な量だけを頂くと、「私達はこれだけでいいから、他の人を探して助けてあげて下さい」と言ったのだそうです。
そのパイロットは、日本人のその考え方に、涙が出そうだったといいます。
その話を聞いて、私はこの日本に生まれた事を、誇りに思いました。
同じように、ここ宇久井でも感動した事があります。それは、『宇久井ビジターセンター』が出来る経緯を伺った時でした。
「那智の世界遺産からは少し離れていて観光地でもないのに、なぜこの宇久井にビジターセンターが出来たのだろう?」
興味を持った私は、ある会議の席で聞いてみたのです。私は鳥肌が立ちました。
まだビジターセンターも無く、紫陽花など植えられていない少し昔、約50名の『宇久井半島を愛する会』によって、自発的に宇久井半島に花植えや清掃活動が始まり10年ほどした頃、その活動が認められ町や環境省が動いたのだと。
そして、宇久井の方に「凄いですね」というと、その方は当時役場に勤めていた方を指差して「役場が頑張ってくれたんだ」と。役場の方は「宇久井人の熱意が」と、互いを称えあうのです。そして、目を開かせ「環境省が動いたんだ」と呟きました。
私は、「これは奇跡だ」と思いました。素晴らしい事だと思います。なかなか無い出来事です。もっと、人に伝えたいと思いました。もしよろしければ、いろんな事を教えてください。そして、HPなどで、語り継ぐことをお許し下さい。
今の若者が、この厳しい日本の先をどう生きていくか、宇久井にはヒントがあるように思うのです。
~続く~
齊藤 良子
会報VOL.25 (平成24年12月)掲載
不法投棄の道
この美しい道が、産業廃棄物置き場だったなんて、信じられない。
かつて、リゾート開発化が進んでいた宇久井半島の山に、道が造られた。
しかし、その開発が放棄されると、道の両側には産業廃棄物が山積みされるようになったのだそうです。
地元民はどう感じていたのだろう?
宇久井を愛する地元民がゆえに、悔しさと悲しさが、私の心にも伝わってくる。
この負の感情が、「宇久井半島を愛する会」(現在、宇久井海と森の自然塾)というボランティア団体を結成させたのかもしれない。
そして、この負の現実を乗り越え、素晴らしい未来を創造していく力が宇久井にはあったのです。
~続く~
齊藤 良子
会報VOL.26 (平成25年3月)掲載
宇久井ビジターセンターと自然塾
「どうして宇久井にビジターセンターが出来たのだろう?」
という疑問から始まったこの企画も、今回で最後です。
前回からの続きです。
宇久井の森を何とかしたいと願った那智勝浦町は、「企業の持っている宇久井の土地を買い上げて欲しい」と、環境省に願い出ました。地元の願いが通じ、環境省は宇久井の土地を買い上げました。土地の環境保護を目的として利活用するために、環境省と地元は何度も何度も協議を重ねました。その結果、自然を活用して体験などを行う『宇久井海と森の自然塾運営協議会』が発足しました。環境省は、その活動拠点として宇久井ビジターセンターをはじめ、周辺の公園の整備などを行いました。その時からハード面は環境省、ソフト面は自然塾という今の形が出来上がったのだそうです。
簡単に書くとこうなるのですが、これって凄い事ですよね。地元、町、国、全てが一つの力になっているように思います。諦めない気持ちが奇跡を起こした。そして、これからも奇跡は起こる。
今後、この歴史を知らない方が、自然塾で活躍する日が来ると思います。 三回に渡って書かせて頂いたつたない文章ですが、自然塾のHPでいつでも 見られるようにアップさせて頂きたいと思います。 ありがとうございました。
~完~
齊藤 良子